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「ゆとり」は終わった

これから先、どのような社会が待っているのでしょうか。どのような産業が起こり、またどのような産業が廃れるのでしょうか。私たちの子どもには、どのような未来が待っているのでしょうか。

今私たちが「社会」で生きている中で、不安に思うようなこと、大変だと感じていること、その他さまざまなことは、私たちの子どもが成長した時には解消されているものでしょうか。或いはもっとひどくなっているのでしょうか。「今」私たちが必要だと感じていること、それらの延長線上に、子どもたちの未来があります。時代は流れていくものですが、必ず連続しているものです。今の続きが明日なのです。明日の続きが明後日、それが繰り返されて、時代が移り変わっていくのです。

私たちがそれぞれのビジネスの中で感じている「必要なこと」、「近い将来こうなるぞ」ということの続きに、今の子どもたちは生きるのです。特にこの10年で、ビジネスはものすごい「スピード」を持つようになりました。来年何が流行しているか、誰もわからないくらいのスピード感を持つまでに至ったのです。それは間違いなく「情報化」された社会の影響が大きいでしょう。印刷された書籍、そして毎週発刊される書籍が、情報発信源としての「意味」を失いつつあり、変わって「インターネット」が縦横無尽にどのような情報でも私たちに与えてくれるのです。私たちは調べればなんでも知ることができるようになってしまいました。

それがいいことなのか、それとも悪いことなのかはわかりません。便利であることは確かですし、すでにインターネットがなくては成立しない産業もたくさんあります。そして、ビジネスのスタイル自体が、成り立たないのです。電話や水道、ガス、電気と同じように、インターネットは「インフラ」と化しました。そして人と人のコミュニケーションをネットワーク上で具現化するSNSを、私たちは当たり前のように使いこなしているのです。そこには「国境」というものすら意味をなさなくなり、国をまたいだビジネスはあたり前となりました。

「国際化社会」と意識しなくても、すでにさまざまな面において実感できる世の中になりました。私たちのビジネス環境は、現在ではものすごいスピードで全世界に及んでいるのです。そのような時代の「未来」は、現在よりも縮小するわけがないのです。そのような未来を生きるために必要なことは、私たちがこれまで学んできたことよりも、ある意味では「多い」はずなのです。

「ゆとり」などとは言っていられません。ITスキルは常識のように必要です。ペンを握るかの如く、ITリテラシーがどのような仕事でも必要です。私たちが経験と共に、技術の発展と共に身につけてきたことは、これからの子どもにとっては最初から必要なことなのです。また、海外と対等に渡り合うための国際感覚、日本人であるというアイデンティティーが、さらに必要になることは間違いありません。それらのことをどれだけ効率的に学ばせてあげるか、与えてあげるかが、今の大人である私たちの責任です。私たちの「環境つくり」如何で、将来の日本の「チカラ」が左右されるのです。「ゆとり」は終わりました。ですが、「詰め込み」もいけないという難しい局面なのです。