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子どもに何を経験させるべきか

子どもでいれる時間には限りがあります。時間とは皮肉なもので、20歳を超えれば社会的には「大人」とみなされるのです。「大人」になるということは残酷なものです。さまざまな「責任」を負う必要があるからです。

私たちが成長してきた中で、さまざまなことを学んできたものです。それはその時には「必要なのか」と感じたり「遊びたい。面倒だ」と感じたりしたものですが、確実に今役に立っていることが沢山あります。「学校」は集団生活を送る場です。「人と関わるのが苦手だ」という人も中にはいたでしょうし、現在でもそうだという人もいるかもしれませんが、実は「生きる」ということにとって「集団」に属するということは欠かせなかったりするものです。

会社に勤めるかどうかは人によりますが、組織に属して何かの役割を得、その責任を全うするという生き方は、それがどのような分野のことであっても一般的なものです。学校が職場に姿を変え、さまざまな人と力を合わせてある目的のために邁進するということは、多くの人が実践していることです。そのようにして組織が上げた収益を分配してもらって生きています。

私たちは学校生活などで「集団」というものでの在り方、人との関わり方を学んだのです。それが現在の社会生活に確実に生かされています。ひとりで生きていける人はいません。自分だけのことしか考えないような人は、集団ではうまくやっていけないのです。その事実は、成長してからでしか実感できないものなのかもしれません。「集団でいること」に対して疑問を持ったことがないような人は幸せだといえるでしょう。中には「ひとりでいたい。誰にも干渉されたくない、自由でいたい」と願う人もいたはずです。

働くということは、「誰かがお金を払う」必要があります。その「誰か」と「何か」を介して関係しているということです。自分ひとりでは経済が成立しないということです。そして、生きるためにはまた、自分も誰かにお金を払っているのです。それは「関わる」ということです。コミュニケーションするということです。

人間である以上コミュニケーションから逃れられません。私たちは絶対に誰かと関わるのです。生きるために絶対に必要なスキルともいえます。「引っ込み思案」というものも「個性」として考えることができるかもしれません。「社交的であればいい」というわけではないのかもしれません。ですが、絶対に必要なスキルであるのではあれば、それを磨くことのできる環境を子どものために用意してあげることは必要なのではないでしょうか。

どのような分野でも、どのような職業、どのような立場でも、「誰とも関係しない」ということはあり得ません。「人」を意識して生くのが「人」です。「人」と関わって生きていくのが「人」です。子どもも私たちも等しく「人」なのです。コミュニケーション能力というもものを醸成してあげることは、子どもの将来にとって絶対に役に立つものです。「無駄になる」というようなものではないでしょう。そうであるならば、専門的な習い事よりもまずは「他者」と「自分」をしっかりと区別できるような、人に優しくして人に好かれるような、そんな人物に育ててあげることも大切なのではないでしょうか。