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「しつけ」とはなにか

「しつけ」とは、「子どもがそそうをしないように」最低限の礼儀やマナーなどを教えこむことです。たとえば何かしてもらったら「ありがとう」と言ったり、悪いことをしたら「ごめんなさい」と言ったりということです。

それらは「子どもが気に入る、気に入らない」に関係なく、教えてあげることが大切です。「ありがとう」の言えない人間をどのように感じるか、少し考えてみるといいと思います。それは人間として、社会に生きる者の最低限のマナーであり、コミュニケーションの基礎でもあります。そのようなことは子どもがどう反応しても教える必要があり、親としての最初の「責任」と言ってもいいかもしれません。

「しつけ」は私たちが持ち合わせている「道徳」や「倫理」が最小限詰まったものでなければいけません。私たちは人間同士が快適に暮らせるように、自分たちの行いに対して「善行」と「悪行」という具合に色分けをしてきました。善行には「徳」があるということを、ながい 歴史の中で確立してきたのです。それは儒教的な思想であったりするわけですが、それらの倫理観は長い間私たちの「常識」として醸成されてきたのです。

別に「生きるだけ」であれば、誰にも「ありがとう」と言わなかったり、謝らなかったり、挨拶もしないというスタイルでも構いません。命に関係するわけではありません。ただ、そのようなスタンスが人として幸せかどうかと問われると、間違いなく不幸です。それは「コミュニケーションをしない」ということに等しいからです。私たちは「言葉」を互いに認識して生きていますが、それによってコミュニケーションするためには最低限度の「マナー」というものを誰もが持ち合わせていなければいけないのです。初めて出会った人には「こんにちは」と言ったり、いきなり相手のことを探ろうとせずにお互いの共通の話題を取り扱ったり、私たちには人としてコミュニケーションするために「必要なもの」があるのです。

それは成長する過程のさまざまな局面で学ぶものです。幼稚園や小学校などで生活する中で、友達から学んだり、先生から学んだりするのです。ですが、だからといって親が教えなくてもいいというわけではありません。悪いことをしたら「ごめんなさい」、いいことをしてもらったら「ありがとう」と言うということから、人に対する「意識」を持ち始めるのです。

マナーは「他者を他者として認識する」ということです。自分がいて、相手がいる。その事実を言葉と共に理解することができるのです。自分が一番偉い、周りの人はみんな甘やしてくれる、自分が欲しいといえばなんでも手に入る。このような育て方をしてしまうと、その子の将来は暗いものになることは簡単に想像ができます。可愛い子どもだからこそ、「しつけ」が重要なのです。そしてそれは、一日や二日では成し得ないものです。長い時間をかけ、子どもと向き合い、じっくりと「人として」大切なことを学んでもらうということが大切です。それは子どもが望む、望まないは関係ありません。世の中に羽ばたく際に、基本的なコミュニケーション能力が欠落していれば、その子は一生不幸なのです。少しずつ、焦らず教えていきましょう。