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子どもの記憶は鮮明

子ども時代の記憶というものは、案外鮮明に残るものです。成長した私たちにとっても、幼少期の記憶は残っています。それらの記憶は子ども時代の貴重な「経験」としてその後の人生を文字通り左右するものなのです。

私たちが子どもに接するときに度外視してしまいがちなのは、どうせ子どもなのだからすぐに忘れてしまうだろうという先入観です。まだ言葉も発することができないのだから、こちらが言っていることを理解できないだろうとか、見られたくないものを見られても明日には忘れてくれるだろうとか、そのような「甘い」考えをなぜか持ってしまっています。

子どもにとっては日々が驚きの連続で、新鮮なものです。私たちにとってはなんでもないような日常の一コマでも、子どもにとっては「初めて見る」光景なのかもしれません。子どもはそのようなことを積み重ねて、徐々に私たちの「社会」に馴染んでいくのです。私たちは生まれて30年も経てばある程度人間社会のことを経験しています。人の関係の難しさ、仕事の厳しさ、バカンスの楽しさなどです。毎日歩く通勤路は見慣れたものですし、特段新しい発見をすることなどないものです。そうするうちに、「時間が早く流れていく」かのような錯覚を覚えてしまうのです。

そのような私たちが失ってしまった「発見」するチカラや「興味を持つ」ということを、子どもたちは誰もが自然に持ち合わせています。私たちにとっては「いつもの光景」でとるに足らないことであっても、子どもにとっては新鮮であるのです。そのような経験、体験は、ずっと後になっても記憶に残るのです。

私たち自身の記憶として振り返ってみても、時系列は曖昧かもしれませんが、幼少期の記憶は案外はっきりと思い出せるものなのです。それは「記憶」というよりも自分の解釈が混ざった「イメージ」として脳裏に焼き付いているものです。それらをふとした瞬間に思い出すことが、今でもないでしょうか。それらの思い出は「一生」自分のものとして付き合っていくのです。忘れたくても、忘れられない記憶もあるかもしれません。

つまり、子どもが見る「すべてのこと」が、将来ずっと記憶に残ってしまうことになるかもしれないということです。それがどのような光景であっても、同じです。だから子どもが見てはいけないものもあるのです。聞いてはいけない話もあるのです。暗い記憶、忘れたくなるような記憶を子どもに与えることはよくありません。精神衛生上はもちろんですが、将来にまで忘れられない「トラウマ」になるかもしれないのです。

子どもになにを体験させるのか、どのようなことを経験して欲しいのかは、なかなか考えることが難しいものです。自分が何を見てきたのか、ということを基準にしていいのかどうか、わからないからです。ですが、少なくとも自分自身が「トラウマ」だと感じているようなことは見せるべきではありません。子どもが「ショック」を受けるような物事は、伏せておくのが子どものためなのです。子どもの頃の「記憶」は「理解」できないものの鮮明にずっと残るということを、私たちは再認識しておく必要があるのではないでしょうか。「経験」は「理解」とともに与えてはじめて意味を成すものなのです。