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少子化が生んだ「シックスポケット」

少子化とは、子どもが少なくなる現象です。ただ、子どもが少なくなった分、社会はひとりの子どもに対するプライオリティを引き上げることになります。「シックスポケット」とは、その典型的な現象です。

ひとりの子どもに対して、「両親」、そしてそれぞれの両親の「両親」が存在します。数えてみましょう。「6人」います。現在の日本の世帯収入では、「子どもはひとりで精一杯だ」という世帯も多いでしょう。実際どうなのかは別にして、「そう考えている」世帯が多いのです。そのような家庭では「子どもはひとり」と決めていたりします。そうなると、その子どもにとっては両親二人とおじいちゃんおばあちゃんがそれぞれで、合計6人いることになるのです。親にとってみれば「唯一の子ども」、それぞれの祖父母にとってみれば「唯一の孫」ということになり、とても愛おしい存在になるのです。

子どもが二人いると、その子たちに対する愛情が二分されてしまうのかというと、そういうことではありません。愛情は無限に湧いてくるものです。子どもがひとりでもふたりでも、愛おしいものは愛おしいのです。ですが、子どもにかけられるもので「有限」のものもあります。それは「金銭」です。ひとりの子どもにかけられる金銭が多くなるのは、間違いなく「一人っ子」の場合でしょう。

現在では、それはすでにかなり以前からですが、子どもが義務教育だけで成長していくケースは稀です。だれもがなんらかの習い事を経験しているものです。それは子どもに必ず習い事をさせなければいけないというようなことではありません。ただ、子育てをする人の多くが「学校教育だけでは何かが足りない」と考えているか、「学校教育では得られない何か」を子どもに与えたいと考えているのです。子どもの習い事はそのまま「コスト」です。費用が必ずかかります。それでも自分の子がその先につかむ未来を考えて、家計をやりくりして習い事をさせるのが「両親」であったり「祖父母」であったりするわけです。

習い事を沢山させれば、それだけ「優秀な人間になるのか」というと、そういうわけではありません。そもそもが「優れた人間」の定義はあまりにも曖昧です。それは相対的であり、さらには「内面」にも深く根ざしたものであるからです。人はそれぞれが「オンリーワン」であるべきで、その人しか出来ないことを見つけた瞬間に、自己が確立されるといってもいいでしょう。

さらには、私たちは「人とのコミュニケーション」で成長します。それは両親や肉親とのコミュニケーションや、地域社会の同じ子どもたちとの交流、そしてその他の「大人」との交流です。私たちは人と関わることで、改めて自分が「見える」ものです。人からどう見られているのか、どう評価されているのかということは、社会に出てからではなく、実は子どもの時代から考えてきたものなのです。学校の成績、そして友人からの見られ方など、私たちはコミュニケーションを通じて自分を見つけてきたのです。

それはいくら「費用」を投じても「経験」することでしか得られないものです。ただ、学校以外に学ぶ場を提供することで、子どもが誰かとコミュニケーションする機会を増やすことになります。「シックスポケット」は、そのような状況を作りやすくしている素地といえるでしょう。