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子どもに何を求めているのか

自分の子どもは「こう育ってほしい」という願いは「親」であれば誰でも持ちます。誰もが同じように両親に期待されて育ってきました。たとえ今の姿がそのとおりではなかったとしても、立派に自立して健康的な毎日を過ごしているのであればいいのではないでしょうか。

自分の子どもはこう在ってほしい、他の子よりも優秀でいてほしいという「期待」は、ムリもないことです。それはある種当たり前の感情であり、「子どもに期待する」ということは自然な愛情です。

ですが、現代は高度に発達した情報網で、良くも悪くもさまざまな情報が飛び込んできます。インターネットなどで現在の子育ての情報を調べたりすると、それは明白です。さらには子どもによるトラブルや犯罪、逆に子どもが巻き込まれやすい、狙われやすいトラブルや犯罪などの知識も、共有されているのです。

さらに長く叫ばれている「就職氷河期」です。子どもは生まれてから20数年経てば、現代の若者と同じく「社会に出る」という試練が待っているのです。そのような情報もなまじ入ってくるため、現代の親は子どもに対して「必要である」と思うことが沢山あるようです。習いゴト学校の勉強を頑張ることなどは、その延長線上にあるのです。将来「負けないために」、今鍛えているということです。「何に負けないようにするか」というと、「社会」であり「世間」であり、「同輩たち」です。

実感している人も多いのではないでしょうか。現代の社会は「生きていくだけでも大変だ」ということを。加えて子どもを育てようというのであれば、今後何かと物入りなのです。お金はいくらあっても足りないのではないでしょうか。お金はいくらあっても足りないけれど、自分が得られる給与は限られているのではないでしょうか。その限られた資本を、どのように使って生きていくのか、子どもを育てていくのか、日々考えていることでしょう。

将来、自分と同じような苦労を子どもが経験しないように、自分が「こうしておけばよかった」と思うことを子どもに与えるのは悪いことではありません。むしろ、子ども本人も成長してからそれに感謝するのではないでしょうか。ただ、問題は「何を与えるのか」ということです。何を与えれば子どもの中でどう消化され、どのように将来役に立つのかということです。その取捨選択が難しく、子どもに「こう在って欲しい」という期待に沿うものなのかどうかを判断することが難しいのです。

なぜなら、「自分が期待する人物に育ったかどうか」というのは「育ってからでしかわからない」からです。今子どもに語りかけていることや学ばせていることが、将来どのようなカタチで花開くのかは、その子次第ですし、社会の状況次第です。そして、子どもはいつか自分がなりたいもの、やりたいことを見つけるものです。それを見つけた時にはじめて、「自分が何を持っているのか」ということを考えることになります。その瞬間、少しでも「武器」になるようなものを与えてあげることが、親にできることです。「何になりたいか」は自分で決めることです。そこまで制御することは、いくら親とはいえできないものなのです。いつか巣立つその日に、何を持たせてあげられるかを考えたいものです。