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何でも吸収できる子ども

生まれてからずっと、私たちの脳は活動を続けています。朝起きてから夜寝るまで、そして夜寝ている間も私たちに夢を見せるなどして、活発に活動しているのです。脳は私たちのすべてを司っているのです。

私たちは生まれてから今日まで、さまざまなことを学んできました。「学ぶ」、「経験する」ということは生きている限り尽きることがないのです。日々さまざまなことに触れ、日々なにかを考え、そして何かを生み出しているのです。

子どもの頃はそのスピードがものすごいものなのです。私たちは言葉を使うことができます。それは人として社会で生きていくために必要なことなのですが、誰かに言葉を教わったから話せるようになった、理解できるようになったというわけではありません。自然と身につけたのです。何から、どこから、と問われれば、それは「環境」ということになります。私たちが育った環境に「言葉」が溢れていたため、私たちはそれらの言葉を吸収し、自分の中で繋ぎ、「自分の言葉」として確立し、使いこなすようになれたのです。現在の私たち大人が日本語以外にもうひとつ言語を習得しようとしても、大変な努力が必要です。ですが子どもは生まれてからすぐ学習を始め、自分で習得してしまうのです。

起こったり泣いたり、そして笑ったり、私たちが当然のように持ち合わせている感情も、子どもはすでに持ちあわせています。誰から学んだのか、どこで学んだのか、わからないようなことまで子どもは身につけていることがあるのです。それはときに私たちを驚かせる「成長」ということになります。

環境が、子どもたちにとっての先生です。その場におかれた環境が、その子どもの人格形成や習得することに深く関わっています。子どもに対する愛情を具現化させるためには、この「環境」を整えてあげる必要があるでしょう。それは「なにが恵まれているのか」答えは出ないものです。英才教育などでは早期から子どもを音楽の環境に触れさせたり、ダンスなどの環境を与えたりするものです。そのような特殊な、ある特定の分野だけの教育ではなくても、子どもが興味を持てて自分で探求できるような環境が大切なのではないでしょうか。

私たちは自分がどのようにして育ったか、特に幼少期の頃のことはなかなか思い出せないものです。自分がひとりで育ったような気もするし、沢山の人にいろいろなものに触れさせてもらった気もするのです。私たちは日々成長しています。それは大人になっても止まりません。私たちの興味はやがて仕事のことや趣味に向き、お金を稼ぐためであったり自分が楽しむために学んだりするものなのです。「生涯勉強」と感じることも多々あるでしょう。

私たちは学んで応用する生き物です。自分で自覚していても、自覚していなくても、毎日何かを考えて、作り出しているのです。変わらないように見える毎日でも、昨日と違うことを考えているものです。そのようにして私たちは自分の「世界」を広げています。子どもにとっても「学ぶ」ということは自分の世界を広げるということです。世界が広がれば、できることが広がるのです。感じ方も、考え方も変えることができるのです。私たちはそのような高度な知性の塊なのです。