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子どもの「意思」とは

子育てをしていると、「子どもがどうしたいのか」を当然のように考えるようになります。親としては子どもが「喜ぶ」ということは何よりも嬉しいものです。ですからなにをするにしても「子どもが楽しんでいるか、子どもが喜んでいるか」を考えます。

それは間違ったことではありません。幼少期は「好奇心」に手足が生えて歩いているようなものです。子どもが自分で興味を持ったことは、自分でとことん追求するものです。さまざまな角度からその物事を探求します。

ただ、子どもはさまざまなことに興味を持つため、ひとつのことに対して長い時間かけて追求するというようなことはあまり得意ではないものです。大人であればもっと時間をかけるようなことであっても、子どもはすぐに飽きてしまうのです。だから子育ては大変なのです。こちらが期待したことに、期待したとおりの興味を持ち、習得してくれるとは限らないからです。

ですが、それが「子ども」なのです。そんな飽きっぽい子どもの様子を見て、「この子はこれに向いていない」とすぐに決めつけてしまう人がいます。それが「子どもの意志だ」と勘違いしてしまうのです。ですが、それは誤りです。子どもは「さまざまなこと」に対して興味があるのです。いろいろなものを見たいのです。いろいろなものに触れたいのです。だから「飽きっぽい」ように感じてしまうのかもしれません。ですが、その実子どもは自ら興味を持ったことに対して驚くべき記憶力で覚えているものです。たとえ少しの時間しか触れなかったようなものでも、また再び目にすると以前に出来なかったことやさらなる興味を発掘して探求するものです。

まだ十分に言葉も発することができない子どもの「意志」を感じ取るのは難しいものです。それが「意志」なのか、ただ無邪気な反応なのか、見極める必要はありません。ただ親は子どもにさまざまな可能性を与えてあげるべきなのです。何に対して適正があるのか、どのようなことを好きになるのかは、その子どもによります。それが「個性」です。親が「これをさせたい、こうなってほしい」と願っていても、「個性」というものは隠せるものでもなく、また押し付けることもできないものです。

子どもは自分で自分の可能性を広げていきます。子どもが自分で興味を持ったときに、すぐその対象に手が届くような「環境」を与えてあげることが大切ですし、その環境を維持してあげることも大切です。親は子どもの「可能性を広げる」責任があるのです。やがて社会に羽ばたくために必要なことは沢山あります。生きるために必要なことが、数えきれないくらいあります。それらの「生きるチカラ」と共に、その子どもが将来なにを探求していくのかを「決め付けない」ということが大切です。「可能性」は無限ですし、「この子はこうだ」という親の勝手な決め付けは、その子を本当にそのようなパーソナリティにしてしまうことだってあるのです。成長した後、子どもは親に感謝します。どのような育てられ方をしても感謝するのです。親は本当にその育て方で良いのかどうかを、慎重に考えながら子育てをするものなのです。「可能性を奪わない」ということ、これを忘れないでください。