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社会に誇れる人物とは何か

私たちは「プライド」を持って社会に貢献しています。それはもちろん迷いも感じることはあります。仕事で結果を残せなかったりすると、とても悔しいものですし、それが重大なことであると「今までの自分の歩む歩み」も否定したくなるものです。

「社会」とは私たち「人間」の集まりです。「社会に誇れる」ということはそこに集まるすべての人が「認める」くらいの功績を残すということです。それでは私たちは「何を価値としているか」ということを考えなければいけません。私たちが持つ美徳や「価値」というものは、人によってさまざまであり、ですがそこには共通的な何かが秘められています。私たちはそれらの「価値」を共有することで価値あるものには多くの対価を支払うことを厭わないのです。

それはひとつの組織の中でも同じです。その組織に属して、式のために働く人に対して、「評価」というかたちで「価値」を明示します。価値が高ければ、当然「賃金」は上がります。より責任のある仕事に就けたり、よりスケールの大きな仕事を行ったり、仕事を通じてその組織に対して、そして社会に対して貢献することになります。

私たちの社会は「金銭」で成立している物事が多いです。働くのは対価を得るためですし、何か「欲しい」となればそれは金銭を支払うことによって手に入れられるのです。もちろん、すべての物事が金銭だけでどうにかなるわけではないのですが、私たちは「お金」を大切に扱い、それを得るために社会に対して誠実でいる必要があるのです。

社会に誇れる人物とは、名実ともに社会に貢献できるような人物のことです。頑張っていい仕事をして、多くの金銭を得られるような人材はもちろんですが、ただそれだけではありません。やはり「人格」も伴う必要があります。人として生きるということは、人と関わるということです。そして私たちは「感情」を持ち合わせているものですし、「経験」や「感覚」で「この人は信用できる」と考えたりするものなのです。

私たちは、子どもたちに将来立派な仕事をしてほしいと願っています。立派に独り立ちして、社会に対して、多くの人に対して貢献してほしいと考えているのです。そのためには「人格」と「能力」が必要です。人格と能力を育てるということが、究極の子育てです。決して「親のいうことだけを聞く」のが「いい子」ではないのです。自分の意志を持って、何事に対しても公平に、それでいて「より良い結果」を生み出せるような方法論を生み出せ、さらにはそれを人に説き、信頼されるような人物が求められているのです。

仕事にもさまざまあります。非正規雇用の問題も、社会問題として顕在化しています。どのような仕事が素晴らしいのか、ということは一概には言えないものです。ですが、自己も他者も、「認める」ことができる人材が「社会に誇れる」ということなのです。それはある程度社会に対して迎合することではありますし、ただ誰も思いつかないような秀逸なアイディアも大切です。自分がどのように生きてきたのか、周りからの評価はどうなのかということを引き合いにだして、子どもに何を与えればいいのかということを考えてみるのもいいのではないでしょうか。