トップページ > 育つスピードは違う

育つスピードは違う

私たちの生きる時間は膨大です。それは宇宙が誕生してからの時間と比較してしまうと一瞬のことであるのは間違いないのですが、それでも「時代の移り変わり」を実感するほど長い時を過ごすのは間違いありません。

そして人によって不思議と向き不向きがあります。人によって漫画が好きだったり、音楽が好きだったり、観劇が好きだったり温泉旅行が好きだったりと、その「好み」はバラバラなのですが、私たちはそれを科学的に解明することはできていません。ただ事実として、「千差万別」ということがわかっているということになります。

それは成長するうえでそうなるわけではありません。まったく同じ環境で育った子どもでも、その好みは少し違うものです。一卵性双生児でも、微妙にどこか違うものです。まったく同じ人間を育てることは、私たちにはできないのです。それはもともと持った素質であったり、一瞬一瞬の視線をすべて揃えられるわけではなかったりするからです。同じ親、同じ環境で育ったとしても、私たちはそれぞれ「別」の人間として生きているのです。

だから物事を覚えるスピードに差があってもいいのです。特に成長したあとでは、一年や二年の差なんていうものはどうということはないことがわかるはずです。社会に出てから特に実感するでしょう。自分よりも年上の上司、自分よりも年上の部下など、年齢と能力は比例しません。そして私たち人間の成長はとまることがありません。

だから子どもの成長が「遅いのでは?」と危惧する必要はありません。たしかにみんなと同じ年令で学校に入学し、同じ授業をうけ、テストをし、成績を着にしながら歩んでいくものです。ですが、その未来には年令など関係のない社会が待っているのです。特に、現在では顕著に「年功序列」が廃止されています。私たちは「自分の武器」をそれぞれ持って、日々お金を稼いでいるのです。

そして私たちの最終的な価値は「能力」ではありません。少し人よりも勉強ができても、少し人よりも要領が良くても、それだけで幸せになれるとは限らないのです。「何が幸せか」ということさえ、私たちの中でバラバラなのですから。どのように育てれば幸せなのか、の答えはありません。ただ、毎日笑うことで、そのような明るい環境を揃えてあげているだけでも、子どもにとっては幸せなのかもしれません。

親の才能や能力も、子どもにとっては実は関係ありません。仕事ができる親から、仕事ができる子どもが産まれるわけではありません。それは「育ち方」、そして「興味の持ち方」に左右されるのです。私たちがどのようにして育ってきたか、どうして今のような境遇なのか、自分でも説明がつかないことが沢山あるでしょう。昔勉強は苦手でも、今は上場企業の社長という人だっているのです。長い人生です。何が起こるかわからないものなのです。私たちはそのようにして日々を暮らしています。長い歩みの中で、少し喋り始めるのが遅いかな、周りの子どもたちよりも背が小さいかな、というようなことは、後々どうということはないものになるのです。ですから、親が焦ってはいけません。子ども成長もそれぞれなのですから、ゆっくりと見守ってあげることが大切です。