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未来には「新しい常識」がある

「今時の若いものは・・・・」どこかで聞いたようなフレーズです。「今」と「昔」は違うものです。それは生活様式が違ったり、トレンドが違ったり、さまざまな要因で「変化」するものなのです。その変化を「良い」と考えるか「悪い」と考えるかは、「人に拠る」ということです。

それと同じように、「今」と「未来」も違うものなのです。今正しいこと、今「価値」があることが、未来では何の価値もなさないこともあるでしょう。そのような物事は、結局はその時代に「生きる人」が生み出すものです。その時代は、そこにいる「人」が作りだすものなのです。人は世代を重ねるにつれて新しい物事を生み出します。新しい価値を創造します。それを互いに認め合い、トレンドやスタイルが創出されていくのです。

そして、その時代、例えば今の時代を生きている私たちも、誰かに育てられた存在です。誰かが育ててくれたから、誰かが教えてくれたから、今を生きることができています。今の時代を作っているのは私たちです。そして、その根底にはこれまで学んできたこと、大切だと教わったことが息づいているのです。それは私たちを教育してくれた人たちの「意志」が込められたものでもあります。遠い昔に感動したことが今の行動の原点であったり、活動の原点であったりしないでしょうか。

子どもを育てるということは、「未来を育てる」ということです。そして、未来は今からの連続です。私たちは今から地続きの明日を生き、そしてさらに地続きの未来を生きるのです。今育てている子どもたちと、私たちは未来を共有することになります。世代は急には変わりません。ゆるやかに、交代していくのです。新しい風は常に吹くものです。そうして少しずつ、時代は姿を変えてきたのです。

私たちの今の教育が正しかったのかどうかは、私たちはこの目で見ることができます。私たちの子どもが将来羽ばたく姿を、私たちはこの目で見ることができるのです。社会で羽ばたくその姿に、私たちの教えがどう影響し、何を生み出すのか、私たちはこの目で見ることができるのです。そしてその時はじめて、「自分の言ったことは正しかった、伝えておいてよかった」と感じたり、「間違っていた、気づかせなければ」と感じたりするのでしょう。

恐ろしいのは答えが得られるときにはもう取り返しがつかないということです。子どもが成長してしまったら、あとは子どもの「意志」に委ねるしかなくなります。その子どもが「こうしよう」と自分で考えてくれなければ、何も変わらないということになるのです。

「教育」とは、「子育て」とは、未来を創ることです。未来を支える人材を育てるということです。それは「時代をアレンジする」といってもいいかもしれません。教育に答えなどはなく、あるのは「結果」です。時代の移り変わりと、10数念前の教育がマッチしてはじめて、良い結果が得られるのです。それは試行錯誤の連続です。「こうすれば間違いない」というような安直な答えはどこにもないのです。人間を育てるということはそれほどまでに難しく、それほどまでに尊いものであるということを理解しましょう。ですから、「子ども」を育てるには「覚悟」が必要なのです。