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自分の子どもだけではないということ

少子化といっても、世の中には沢山の子どもがいます。総体的に子どもの数が現象していることは間違いないのですが、それでも街には沢山の子どもがいます。その子たちはみんな、未来の社会を担う人材です。

よく聞く言葉として「モンスターペアレント」という存在があります。そのように呼ばれる人々は、「自分の子どもを異常に愛している」と表現すればいいのでしょうか、自分の子だけが幸せであればいいという、ある種の偏見を持った人々です。それは親であれば誰もが「当たり前だ」と感じることかもしれませんが、常軌を逸した人が「モンスターペアレント」と呼ばれるのです。

それは授業参観で「自分の子が指名されない」というクレームや、卒業アルバムに自分の子が写っていないというクレームです。実際を見てみると、授業参観も時間は50分間しかないのですから、生徒が30人いるとすると全員を指名することは不可能なのです。大人であれば、冷静になってみればそのようなことは理解できるはずなのです。それらのクレームは学校や教職員に強烈に入ります。

昨今では「教育者」の立場が変化しているようです。親が自分たちだけで子どもの義務教育を完遂させることは出来ないのです。子どもは「社会で育てるもの」なのです。ですが、そのような現実を度外視して自分の子だけプライオリティを上げてほしいという希望だけを述べる。他の子どもも自分の子どもと同じように尊い存在のはずなのに、自分の子どもだけしか見ないのです。それは社会に対して「恥ずべきこと」であるのです。

少子化である現代では、一人ひとりの子どもに関わる大人の数が増えているのです。そして「世代」として少なくなってしまった「人間」は、その現実を変えることは出来ないのです。生まれなければその「世代」の人間は増えません。将来人口が減ってしまうのだとしたら、今の子どもたちは私たちよりももっと重い責任を抱えることになるのです。だからこそ、一人ひとりをもっと大切にしなければいけない。なのに「モンスターペアレント」と呼ばれる人たちは自分の子どもしか見ないのです。他の子どもよりも優れた環境で、時には陥れて、自分たちが満足できればいいのです。

はっきり述べます。「みっともない」と。

親である以前に、社会を構成する一員である私たちは、自分の子どもも他の子どもも大切にすべきです。教育者とともに子どもを育てあげるべきなのです。自分の子どもだけが可愛い、他の子はどうでも良いというスタンスは、未来になにも良い結果を残しません。そうして甘やかされて育った子どもが、どんな仕事ができるのか、検討もつきません。

そのような恥ずべき大人は、未来を破壊しているのだと自覚すべきです。社会的に必要な教育とはなんなのか、未来のために必要な人材とはなんなのか、自分の子だけで未来を支えることなどできないのですから、自制すべきなのです。学校はサービス機関ではありません。保護者や生徒は「お客様」ではありません。なんのために学校に通わせるのか、なんのために教育が必要なのか、考えてみてください。さまざまな人が知恵を出しあって、今の教育体制があります。文句があるなら、文科省にでも入省してください。