私たち人間はとても非力な状態で生まれてきます。自然界とは違い、「天敵」などいなくなってしまった私たち人間は、皮肉なことに「生まれただけ」ではとても無力なのです。

私たちが築き上げた文明、「人間社会」というものは、それに参画することでしか生きていけない、ある種過酷な環境といえるでしょう。野生動物のように餌の狩り方などを覚えるのではなく、私たちは私たちが築き上げた文明に参画するため知恵、マナーなどを学ばなければいけないのです。

私たちは生涯の中のおおよそ20年間を「子ども」として育てられます。それは誰もが経験することであり、「子供時代」にどう育てられたか、ということがその人の生涯を左右するといってもいいほどです。子どもの頃に聞いたこと、学んだこと、そして経験したことが大人になってからの生活に活きてくるのです。

私たちは望まなくてもこの世に生を授かった瞬間から「生きていく」必要があります。誰もが望んで生まれてきたものではなく、誰かに「望まれて」生まれてきたのです。どのような境遇にあっても、ひとりひとりが感じる社会、参画しなくてはいけない社会は共通です。同じ社会に、「親」も生きているからです。

私たちは生涯のなかで20年間は「子ども」として育てられる期間がありますが、その後自分が「親」になると、死ぬまでずっと「親」です。そして自立したあとも「子」であるのです。自分が育てられたように子どもを育ててもいいのかどうか、親になると誰もが迷います。ただ子どもが生まれただけでも、その瞬間から「親」ではあるのですが、ただそれだけでは子どもを育てることはできません。毎日、そして24時間、寝食を共にしながら付き合い続けるのが「子ども」です。子育てとは、親になった後の生活を左右するものでもあります。

親になるということは、「親」として自分が同成長していくのかということを「問われる」ということでもあります。ただ子どもがいるだけでは「形上の親」でしかありません。そして、誰もがその「親」という立場の難しさを生涯通じて学んでいくことになるのです。自分がどう育てられたか、現在もどのように育てられているのか、「親」とは子にとってどのような存在であるのか、自分が成長してきた過程を振り返りながら、「今」の時代に併せた子育てが必要とされているのです。

子どもたちが見る「未来」は、「現在」の私たちが作り上げている社会の延長線上でもあります。そのようなことも考えつつ、日々子どもとどう向き合うのかということを考えながら、「親」としても成長していくことが必要なのです。子どもは「育てなければいけない存在」であると同時に、私たちに何物に代え難い大切なことを「教えてくれる存在」でもあるのです。誰もが「子を宝」にします。自分の子ほど可愛い存在はないのです。誰もがそのように愛され、育てられながら、やがて「社会」に参画していくことになります。社会は知っての通り「甘くはないもの」です。

私たちは子育てを通じて自分の子どもが将来たくましく生きていけるような「チカラ」を与えてあげる必要があるのです。それが私たちの責任です。いつかは巣立つのですから、その時までに「何を与えられるか」ということを最重視しましょう。