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誰もが育てられたということ

私たちは誰もが「子ども」でした。成長するとだんだん記憶が薄れていくのかもしれませんが、確実に誰にでも「子ども時代」はあったのです。そのときに見たり、感じたり、学んだことが私たちの今の「生きる力」になっています。

人間が自ら築き上げたこの社会は、私たちすべての人のために存在します。ですが、どうしても資本主義、自由経済という枠組みの中では「優劣」がついてしまうことがあります。「優劣」はそのまま「収入」に反映されます。私たちは社会的通念として「収入が多い」方が豊かな暮らしができるものと考えています。どうしても私たちは働かなければいけません。ずっと子どものままではいられないのです。

それまで子どもだった存在、それまで育まれてきた存在が、大人として社会に参画できるようになるためにはさまざまなスキルが必要です。社会人としてのマナーはもちろん、仕事をこなせるだけの教養、仕事を続けるための、完遂するための精神力、そして人として他者とコミュニケーションをとるための能力など、挙げればキリがないですし、大人になってからでもずっと学んでいくものです。

ただ、「社会に出る」ということはひとつ難関です。現在では大学を卒業しても「就職難」といわれている時代です。ただ当たり前のように学ぶだけではどうにもならないのです。進学先を選ぶように就職先を選ぶのではいけないのです。「働く」ということは、自分がその組織に「貢献できる」ということを証明するということでもあります。そして現代では完全に崩壊してしまったのが「終身雇用」です。ただ一度就職するだけでは、人生のレールが定まったとはいえません。

私たちは誰もが子どもでした。誰もが「社会への第一歩」を経験してきたのです。ですが、その頃と現在とでは、少し様子が違うのではないでしょうか。ただ学歴を積んで、みんなと同じように就職活動をして人並みの暮らしをしている、ということが、とても恵まれているとは感じないでしょうか。正規雇用されず、その日その日を必死で生きている同年代の人もいるのではないでしょうか。自分はたまたま子どもを作る余裕があった。だけど一歩間違えれば自分も不安定な暮らしを続けていたかもしれないと、考えたことはないでしょうか。

自分が育ってきたように、子どもを育てれば本当に幸せになれるのかどうか、迷うことはないでしょうか。今の社会、そして子どもが参画することになる未来の社会はどうなっているのか、考えてみてください。

「未来」は、私たちひとりひとりがつくります。私たちはそれぞれが社会を形成する重要な歯車のひとつです。どのような仕事をしているのか、どのような社会的立場にあるのかは、人によって違います。会社で役職に就くことだけが成功ではありません。安定した給与を、定期的に得られることこそが、この社会で生きていくことに必要なことです。私たちひとりひとりの日々の取り組みが、そのひとつひとつが、この社会を作り上げています。そして「明日の社会」を作り上げています。

裏を返せば、私たちの「親」も、私たちと同じようなことを考えて私たちを育ててきたはずです。今の社会を作り上げてきたのです。

子どもたちが見る「未来」は、「現在」の私たちが作り上げている社会の延長線上でもあります。そのようなことも考えつつ、日々子どもとどう向き合うのかということを考えながら、「親」としても成長していくことが必要なのです。子どもは「育てなければいけない存在」であると同時に、私たちに何物に代え難い大切なことを「教えてくれる存在」でもあるのです。誰もが「子を宝」にします。自分の子ほど可愛い存在はないのです。誰もがそのように愛され、育てられながら、やがて「社会」に参画していくことになります。社会は知っての通り「甘くはないもの」です。

私たちは子育てを通じて自分の子どもが将来たくましく生きていけるような「チカラ」を与えてあげる必要があるのです。それが私たちの責任です。いつかは巣立つのですから、その時までに「何を与えられるか」ということを最重視しましょう。