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国際化の必要性

実は、「国際化の必要性」と言っている時点で遅れています。以前からずっと同じなのですが、日本の産業、そして「暮らし」は海外との関係を無視できないものなのです。小さな島国暮らしている私たちが、国際社会で堂々と生きているのは、先人たち、そして今最前線で働くビジネスマンの努力の賜物です。

ただ、少し以前と現在では日本のおかれた状況は少し違ってきているのです。かつて、日本の「技術力」というものは世界を席巻するものでした。「良い物はみんな日本製」といわれるほど、世界の中でも秀でた技術力を持っていたのです。それは私たちの誇りでもありました。日本の「メーカー」は世界に誇る産業の「旗艦」であったのです。日本の技術力を求める諸外国は沢山ありました。私たちは次々に新しいものを生み出し、それを海外に輸出していたのです。

かつて戦争で傷ついた国際社会に対して、私たち日本は「技術」、そしてそれによって作られた「製品」で貢献していたのです。その時ははっきりと住み分けができていました。外交マンと技術者は、それぞれの仕事をこなしていました。外交マンが対外交渉をしてくれるから、国内の技術者は安心して仕事ができていたのです。

しかし、世界には何十億もの人間がいます。そして、技術は「既存の技術の組み合わせ」のチカラでもあります。私たちの技術力は世界に浸透し、やがて追随されるようになりました。安穏としていた私たちに当時欠けていたものは、国民すべての「国際感覚」でした。一部の外交マンさえいればよかったものですから、国内にこもる人はそのまま国内のことだけを考えていればよかったのです。

ですが、他の国はそんな日本を横目にどんどん「英語」を当たり前のように教育に取り入れていきます。英語は世界の共通語です。中国の方とも、韓国の方とも、英語が使えれば話すことができるのです。そのような状況であるのに、私たちは「お勉強」としての「英語」しか学んできませんでした。テストのことしか、入試のことしか、気にしなかったのです。

10数年たって、その差は歴然となりました。私たちはそのほとんどが英語を話せないのです。ですが、諸外国を見渡せばどの国も英語が堪能です。そして、気がつけば技術力さえ追いつかれ、ただそこには「低コスト」という大きなアドバンテージがつけられていたのです。同じ性能の製品を、より安く製造することができる諸外国、特にアジアの新興国の追随は強烈なものだったのです。

現在では、残念ながらそのような面では私たちは「追いかける立場」に成り下がってしまいました。かつてはどのような国でも望んだ日本の技術は、今では誰も目もくれないのです。それは「国際感覚が大多数の人に足りなかったから」です。そして「現在でも同じ」です。

そこで教育改革が起こりました。実は、現在の学校での英語教育は「コミュニケーション」を中心に考えられています。高校を卒業すれば、誰でも日常会話くらいはこなせるようになってほしいということを、カリキュラムに込めたのです。その答えはやはり10年後にしかわからないものでしょう。ですが、確実なのは私たちに足りないものを今の子どもたちは学ぶのだということです。